OT鍼灸治療院 院長 奥田稔彦 プロフィール
氏 名 奥田 稔彦
生年月日 昭和33年3月14日
53歳 庄原市生まれ
庄原格致高校 卒業
昭和56年 長野大学産業社会学部 卒業
昭和57年 日本競輪学校 卒業(49期生120人中14位の成績)
同 年 4月 京王閣競輪場にてプロデビュー
同 年 8月 平塚競輪場にて初優勝
昭和59年 S級特別昇進 (A級9連勝ののち)
平成 2年 年間S級勝率35.44%(全国8位)年間S級連対率48.10%(全国10位)
の成績で優秀選手表彰にて特別賞を受賞
平成 3年 S級1班に昇級(S級優勝4回)
平成 5年 7月 小松島競輪場記念レースにて落車(35歳)
右足大腿骨骨頭骨折、椎間板ヘルニアで入院
平成 7年 1年6ヶ月ぶりにA級に降級しレースに復帰するが、その後B級まで降級
平成15年 10年ぶりにS級2班に昇級
平成20年 松山競輪場にて300勝達成
平成25年 朝日医療専門学校 鍼灸学科 卒業
同 年 4月 OT鍼灸治療院 開院
同 年 7月 高知競輪場にて引退
平成23年9月現在の通算成績
出走回数 2068回
優勝回数 31回 棄権 48回
1着 309回 失格 49回
2着 307回 勝率 14.9%
3着 252回 2連対率 29.7%
着外 1108回 3連対率 41.9%
競輪以外の活動
小学校での道徳教育の講師、五洋建設での講演、TSS「情熱列伝」出演
広島テレビ「3DAYS」出演、広島北ロータリークラブでの講演 など
治療家になった根底にあるのは父だったかもしれない。父は私が小学校4年の時、脳溢血で倒れ、左半身の麻痺が残った。支える家族の大変さを感じざる負えない生活だった。
いつのまにか当時ではまだ珍しかった大学の社会福祉学科を目指した。ただ、まだ若かった私は、自分の他の可能性も捨てられず、競輪選手になろうと懸命になった。1年後競輪学校に合格し卒業、晴れて選手となった。最初は反対していた両親はひどく喜んでくれたのを記憶している。それから選手生活31年間、特に父は不自由な身体でがんで亡くなるまで新聞などをスクラップし宝物のようにいつも傍らに置いていた。今では私の宝物となっている。選手の間は怪我は付き物、治療を受ける側となる。沢山の治療家に出会いざっと数えても2500回は治療を受けた。競輪選手には致命的であろう大腿骨頚部骨折を経験した。この時人生の転機ともいえる治療家に出会った。「なぜこの状態でまだ復帰しようと思うのか」と聞かれ「1%でも可能性があるのならそれに懸けたい。先生に託します」と答えた。「あなたが復帰するまでここに居てください」一年以上のリハビリを続けていた私は一点の明るく光る希望が見えた。この経験も今の私の治療に活かされていると自負している。スポーツ選手には引退が人生のゴールでないことが多い。私も同様、引退を人生の通過点にすべく第2の人生を考えたとき、すんなり治療家の道が見えた。
鍼灸接骨院で修行をしながら選手を続け、55歳で引退。同2013年鍼灸師の免許を取得。同2013年O.T鍼灸治療院を開院。2017年アクシスパワーマスタリーメソッド マスタートレーナーとなる。現在に至る。